書店でとある生徒を思い出した
今日は塾がお休みだったので、教材販売会社を訪問。
夏期講習と通年授業で使用するテキストについて相談してきた。
個人塾はテキストの縛りがない。
よって、生徒個人の学習状況にあった最適なものが提供できるのが強みだ。
教材販売会社の後は、新大久保にある第一教科書に行って、
最後は新宿の紀伊国屋へ向かった。
紀伊国屋では、生徒を想像しながらテキスト売り場を行ったり来たりした。
小学生の理科の問題集をパラパラと見ていた時、ある生徒の顔が浮かんだ。
小学生は、いろんなところで新しい言葉や表現を覚えてくるので、
大人がドキッとするようなことを言い出す時がある。
その生徒も例外なく、オトナ表現を試してくる。
いつだったか、その生徒が周りの生徒のことを「君は、・・」と呼び始めた。
そして、心地良いのか私に対しても時折、使い始めた。
私は早速、家でアレコレと考えて、どのように説明するか考えた。
おそらく、人格という言葉を知る初めての機会ではないかと思い、慎重に考えた。
そして、次の授業日
生徒が「君は・・・」と話しかけて来た。
私はいつもと違う雰囲気をだし、生徒の目を見つめた。
「ちょっといいかな。「きみ」という呼び方はとても失礼だよ。先生は不愉快だ。先生も友達もみんな名前を持っている。だから名前で呼ぼうよ。「きみ」なんて人格を認めないような呼び方を使っている場所は、刑務所や地獄くらいじゃないかな」
そのあと、人格や奴隷制度について少し話をしたと思う。
それ以降、生徒は「きみ」という言葉を一切、使わなくなった。
学習塾は、社会性を学ぶ場所でもある。
「しつけ」という言葉に当たるのかわからないが、勉強以外で注意しなくてはならないことも多い。
正直、私はその点については自信が持てないでいた。
それは自分に子供がいないからだと理由付けたこともある。
私たち夫婦は諸事情で子供に恵まれておらず、私が子供をお預かりすることが良いものかと思ったこともあった。
しかし、私が塾を作るまでに経験してきたこと、勉強したこと、考えたことを基に子供達と接することは間違いでないと最近ようやく思えるようになった。
人よりも若干、変化球な人生を歩んできた私だからできることもある。
生徒の言動を見極め、私の考え、社会の現状を伝えていく。
そして何より「考える」という姿勢の大事さを実感してもらう。
「勉強」という子供達にとって、もっとも敬遠したい行為に携わるのは光栄なことである。